日本地質100選山口県萩市「須佐ホルンフェルス大断層」

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鏡山ウォーク
歴史・神話・伝承あり
 5月1日(日)、須佐湾遊覧の関連イベントとして「鏡山ウォーク」が行われました。
 コースは須佐駅を起点終点とし、鏡山神社、浄蔵貴所塚、エコロジーキャンプ場をまわる往復約8kmのコース。
 参加者は、山口市や防府市、下松市、益田市などから19名。(昨年9月のウォークに引き続きご参加いただいた方もいらっしゃいました!)
 須佐駅を出発するころは小雨が降り、天気が心配されましたが、徐々に回復し、ウォーク日和のもと、みなさん楽しくウォークすることができました。
 参加者のみなさん、お疲れさまでした。
 またのお越しをお待ちしています


高山の説明を受ける参加者のみなさん


目的地への道は険し


丸太橋も渡ります


鏡山神社で参拝


浄蔵貴所塚で記念撮影。パワースポットです!!


エコロジーキャンプ場では紙芝居を見ました

紙芝居の詳しくはこちら→http://www.haginet.ne.jp/users/ecocam/
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歴史・神話・伝承あり | 10:11 | author : 須佐観光案内人
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 大薀寺   

 大薀寺は曹洞宗の寺で金瀧山と号し、山根丁東にあります。

 大薀寺の前身は、永享年中(1429〜1440年)に

弥富大田に創建され、弥高山山興禅寺と号しました。

天正19年(1591)深川(長門市)大寧寺15代関翁和尚を

招き興禅寺妙悟寺と改めましたが、二代傑叟和尚の時鐘楼のみ

残し焼失しました。

 慶長年中(1596〜1614年)益田家二十代(須佐初代)

益田元祥が、父藤兼の菩提寺にするため須佐に移建し、

現在の大薀寺となり、代々益田家の位牌所とし、寺領

二十石を賜りました。

 萩市指定文化財の梵鐘の鐘銘は煙滅して明らかではないが

「長門国阿武郡弥富郷弥高山山興禅寺永享乙卯秋月・・・・」の

字が読まれています。 また、裏庭には雪舟の弟子が築いたと

いわれる見事な庭がある。

 そして、その裏山には育英館初代学頭 品川希明、

第二代学頭 波田兼虎、剣豪多根卯一の墓があります。

       
       須佐地域須佐公民館便り より

         



 


歴史・神話・伝承あり | 11:42 | author :
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  唐人墓

 唐人墓は、高山の麓大越(二軒屋に行くまでの途中)の

市道脇にあります。
言い伝えによると、享保11年(1726年)

8月7日、須佐湾に唐船(中国の船)
が入港して食糧や

水などを要求したが、当時は鎖国令が布かれていたので、

これに応ずることができず、益田家萩毛利藩に伺いをたて、

再三立ち退きを
要求したが、唐船はこれに応じず、藩は益田家中

と共に、この船を襲撃して
火をかけこれを沈めました。

唐人墓は、この時の遺骸を葬ったところと伝えられています。


 また、その後この地域に飢饉や疫病が起こり、

唐人の祟りではないかと
噂され、三界萬霊等の碑が建てられ、

霊を祀ったと言われています。


            萩市須佐地域公民館だより より

歴史・神話・伝承あり | 13:50 | author :
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   高山磁石石

 須佐高山は、その昔須佐之男命が大陸(新羅国)に渡る際、

この峰に立ち海路を望んだという伝説があり、これが須佐の地名の

由来となったとも言われています。

また、高山はその昔、神山(こうやま)と言われており、黄帝社や

八相権現社など信仰の山としても知られています。

 地質学的には、高山(532.8m)は、須佐層群という堆積層に、

高温の高山はんれい岩体(マグマ)が貫いて出来た山で、多くの

はんれい岩の巨石が露出しており、山頂周辺の巨石には強い磁性があり

高山磁石石(名勝及び天然記念物)と言われています。

この磁石石は、方位を狂わせています。

 なぜ、山頂にこのような強い磁気があるかは不明ですが、

はんれい岩内に含まれる磁鉄鉱の成分が、度重なる落雷などで

磁気を帯びたのではないかとも言われています。

 日本海から直接そびえる高山山頂からは、西は遠くは長門市川尻岬

そして萩市沖の島々、東は浜田市や益田市、南は広島県・島根県境の

中国山脈を望むことができます。

 暑い夏は、涼を求めて山頂に行かれるのも良いかと思います。

  高山山頂の岩石を採取することはできません。

             萩市須佐地域公民館だより より
歴史・神話・伝承あり | 11:48 | author :
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  須佐地域の地質探訪
   ホルンフェルス


 須佐の代名詞とも言える「須佐ホルンフェルス」は、その壮大な姿が

全国的に有名で、たびたび雑誌やテレビに登場するようになりました。

 
しかし、いざホルンフェルスの説明と言われると、地元の人でも


難しいものがあります。今回は須佐の誇りとしての名勝を誰でも


簡単に説明できるようにポイントを説明したいと思います。

 
まず、最初に須佐ホルンフェルスは、いつ頃出来たのでしょうか。


地球誕生から46億年の歴史の中でいえば、ホルンフェルスの誕生は、


つい最近の話で今から約1400万年前(地球暦:地球を誕生した日を


元旦としたら、12月30日昼過ぎ)の話です。

 
次にどのようにして出来たのでしょうか。 


今から約2300万年前、須佐周辺の山や陸地から流された砂や泥が


海中に堆積。堆積した一つの層をなします。 これを須佐層群


(前地・高山・北谷・野頭地域)といいます。

 
そして、約1400万年前、その層を下から突き破る高温の
火成岩体

(マグマ)が隆起し、高山が形成されました。(噴火していない)

 
隆起と同時に、周辺の地層(須佐層群)も盛り上がり、その時の


すごい力と熱のために周辺の岩の性質が変わり、この


熱変成作用を受けた部分が、まったく新しい岩石に変化、


これを「ホルンフェルス」と言います。

 
もともと高山の中心部に近い付近で起きたことですが、風化や


浸食により現在の姿を見ることが出来ます。新たな岩石


(ホルンフェルス)となった、断層の白い部分は元は砂岩


黒い部分は頁岩であったものです。

 
ホルンフェルスの語源は、ドイツ語Hornhelsに由来するもので、


岩石を割ると角ばって割れることから、Horn(角)hels(岩石)、


角石(つのいし)の意味で名づけられています。

 
なお、須佐ホルンフェルスは、変成作用(ホルンフェルス化/結晶化)


が最も強く行われている箇所は、北東(山島方向)に行くほど強く、


南西方向に行くほど弱いため、「全体的にホルンフェルスと呼べる、


呼べない」で、議論されることがよくありますが、すでに、


「広義の意味でホルンフェルス」と言ってもよいことのお墨付きを


国から頂いていますので、堂々と「須佐ホルンヘルス」を


地域の誇りとして、PRしてほしいと思います。

 
(2007年、日本の地質百選に選定された。)


             萩市須佐地域公民館だより より

歴史・神話・伝承あり | 14:39 | author :
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須佐地域の地質探訪
  一番古い岩石は、海底から・・・

  
 地球の歴史は、約46億年といわれています。

前回でお示ししました地球暦表(46億年を365日置き換えた表)

でいきますと、人類がこの世に誕生したのは 約180万年前

(暦/12月31日夜8時30分)須佐地域の地質を考えると、

桁違いの日数をさかのぼらなくてはなりません。

 さて、須佐地域で今一番古い時代の岩石は、どこに

あるのでしょうか。

 須佐地域の南部、鈴野川と阿東町嘉年との境にある

権現山(652.9m)は、須佐地域で一番高い山です。

権現山中腹の鈴野川阿武台を訪ねてみると、

古生代ペルム紀(2億9千万年前/地球暦:12月8日)の

檪岩石灰岩などの堆積岩を見ることができます。

 山口県を含む西南日本は、昔からアジア大陸の

突端部にあり、南方からの海洋プレートの沈み込みによる

地殻変動を受け形成されました。もともと海で出来たさんご礁

などからできた石灰岩や礫が、海洋プレートの移動により

大陸に運ばれ、ここで隆起したものだと考えられます。

秋吉台も同時期に形成されました。

 また、石灰岩などで構成される権現山の北側に湧き出る

水は、鈴野川となり田万川に注いでいます。南側に湧き出る

「水出の泉(阿東町嘉年)」は、阿武川の最源流となっています。

   地球暦=地球の誕生を1月元旦に、現在の大晦日に、
1日/1260万年、1時間/52.5万年に置き換えたもの。

   礫岩=小石が水底に積もり、粘土、砂などに混じって
固まった水成岩(岩石のはへんが水底で固まって出来た岩。)

   石灰岩=炭酸石炭の成分をもつ水成岩。

   堆積岩=うずたかく積もった岩。

   隆起=高くもちあがること。

               萩市須佐地域公民館だより より






歴史・神話・伝承あり | 12:52 | author :
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 須佐地域の地質探訪
 スサガメのいた時代

 須佐歴史民族資料館を入ると、

ロビーに2体の化石があります。
 
この化石は、昭和46年春、須佐地域前地の採石所で

次々と 発見された、ウミガメの化石で、発掘された、

数は5匹分にもなりました。ウミガメが 発見された地層は、

今から約1500万年前(地球暦12月30日昼過ぎ)のものです。
 
 日本でウミガメの化石が発見されるのは、非常に珍しく、

このウミガメは昭和51年に、プロコルポケリス・スサエンシス

(スサガメ)と命名されました。
 
 この化石は、アオウミガメに近い種類で、その周辺で
 
発見された化石群から、当時、山陰側が暖流

(対馬暖流)の影響下にあったことが推測されます。
 
 今も、アオウミガメは、熱帯や亜熱帯を中心に全世界での

海岸に分布し、産卵以外は海中で過ごします。
 
 その昔浅い須佐の海岸を豊かな海藻類を求めて
回遊していたことがうかがえます。
 
  ※地球暦は、地球の誕生を1月元旦に

現在を大晦日に、1日/1260万年、 


1時間/52.5万年に置き換えたものです。

   
        萩市須佐地域公民館だより より
歴史・神話・伝承あり | 09:59 | author :
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  神秘的な景勝地 「畳ヶ淵」

 市役所弥富支所より、県道を3キロばかり鈴野川方面に

下って行くと、右手に山口県自然百選の 

「畳ヶ淵」にたどり着きます。

 畳ヶ淵の河床には、六角形の亀甲状の玄武岩が、

整然と並び敷き詰められた岩石の景観が、

ここより前後計約5キロにわたり続きます。

 畳ヶ淵の淵は深く、淵の脇には洞穴があり、

昔竜が住んでいたという伝説があるとやら・・・。

そのためなのか、河床の脇には竜権様(りゅうごんさま)の

社が祀られています。

 畳ヶ淵は、今から約34万年前、伊良尾山の噴火により

流れ出た溶岩が、弥富盆地の低い部分に流れ込み、

その溶岩が規則正しく冷えて固まり、

六角形の玄武岩柱状節理が出来上がりました。

 どうして、このような六角形の岩石ができたかというと、まず、

日本の溶岩は、約800度でゴツゴツした溶岩が多いのに比べ、

伊良尾火山の溶岩は約1200度で、水飴のような柔らかい

ものだったといわれています。 そして、水飴状の溶岩が、

冷えるとき起きうる対流の渦は、大きいものは分裂し、

小さいものは消えてほとんど同じ大きさに並び、

冷えるにしたがって体積が小さくなろうとして、収縮し互いに

引っ張り合い六角形(変化に強い正三角形六つの集合体)

をつくります。

 そして、更に割れ目が早く冷えるとそこに熱が出ようとして、

タテとヨコが一対になる渦を生み出し、一方が凹み、一方が凸出した

柱状の割れ目をつくります。こうして出来た、柱状節理は、地殻変動

などによりあるところではヨコや斜め方向に、あるところでは、

河床から放れた高い位置で見ることができます。

 その一番の景勝地は、畳ヶ淵で大きい玄武岩の柱は、

直径150センチもあります。(全国的には小さいものが多い)。 

又、下田原から約1キロ川沿いに下った川向こうに見える断崖は、

柱状節理が河床より約40〜50メートルそそり立ち、

まるで巨大な屏風岩(残念ですが竹やぶで見えなくなっている)は

見事。以前文化庁専門員も国指定にも価すると

絶賛した箇所が残っています。

 その昔、畳ヶ淵を中心とした名勝地を 「玄武峡」 と

呼ばれており、楽しむことができます。

*玄武岩の名称は、兵庫県城崎温泉の近くにある玄武洞に

命名したものである。

ちなみに玄武とは、中国神話で方位を司る神(四神)のうち

北方に相当する蛇と亀が合体した神体で、黒色の意味もある。
  
           萩市須佐地域公民館だより より
歴史・神話・伝承あり | 11:49 | author :
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  道永の滝
 
 この滝は、弥富地区及谷にあります。(国道315号線より

県道日原須佐線に入り約5km、道沿いの看板が目印。)

 阿武町大平伊良尾山山麓から湧き出る清水が、3段70メートルの

滝として落下、老木の間に飛沫を飛ばす景観は勇壮なものです。

滝つぼの脇には、祠があり、言い伝えによれば、毛利元就に敗れた

陶(すえ)晴賢(はるかた)の残党が山伏となってこの地に逃れ、

大山祇神四国石鎚山波切不動明王をまつったと伝えられています。

また、その子孫の市高吉之兵衛が黄金の茶釜を隠し

持っていたという伝説もあります。

 年中変わらぬ水温(14度前後)の湧き水は、

夏でも枯れることがなく、

弥富地区の貴重な水源となっています。 

暑い夏には涼を求めて行かれてはいかがでしょうか。

 (注) 軽装、マムシ等に注意してください。

                 萩市須佐地区公民館だより より
歴史・神話・伝承あり | 13:46 | author :
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  幕末を支えた須佐の志士たち

 「四鏡戦争」

 江戸時代の末期、長州藩が揺れ動いていた頃の1865年

(慶応元年)、高杉晋作らが馬関(下関) で挙兵して

倒幕派政権(幕末を倒す)を樹立しました(元治の内乱)。

高杉らは西洋式軍制を採用した平民である奇兵隊や

長州藩諸隊を整備し、大村益次郎を登用して新式兵器や

西洋軍服を配備し、戦術の転換など軍事改革を行いました。

 その頃幕府(14代将軍 徳川家茂)は 大阪城に入り再び

第2次長州征伐を決定しました。翌年6月7日に幕府艦隊は、

周防大島への砲撃を開始し、13日には芸州口(広島の境)、

16日には石州口(益田)、17日には小倉口(北九州)で 

それぞれ戦闘が開始されました。

俗に言う 「四鏡戦争」 の始まりです。

 「石州口の戦い」

 慶応2年(1866年)6月16日朝、山口方面から北上した 

大村益次郎率いる長州藩 約千名は、津和野藩(無抵抗)を通過、

津和野藩と浜田藩との藩境にあたる扇原関所(益田横田)に

差し掛かっ たとき、この扇原関所の守 岸静江国治(浜田藩)は

長州軍の通過を許さず、僅かな部下と急募の農民と共に

関所の守りにつき、ついに戦闘が開始された。

 圧倒的多数の敵兵を前に岸静江はまず部下と農民を退去させ

、唯一人関門を守り銃弾を受けながらも仁王立ちのまま

絶滅したと言われ、あっぱれな戦死に長州藩は靖国神社に

合祀せられた。

 また、須佐隊は、16日江碕を船で出発、戸田より高津に進行、」

そして益田市内医光寺、勝達寺、万福寺で陣を張る

幕府軍(浜田藩、福山藩)へ攻め入りました。

 長州藩の優れた戦術に、幕府軍3万の兵は大敗しました。 

ちなみに この時の長州軍のの死傷者は9名だったと言われています。

               萩市須佐地域公民館便り より






 




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